文化は共想の中から生まれる
今までにないような新しい発想でイノベーションを起こすスーパークリエイティブな人材。多くの人はスティーブジョブズのようなカリスマ性のある人を思い浮かべてしまうのではないでしょうか。
けれども私は、そもそも一人の頭の中だけで行うクリエイションには限界があると思っています。そして一人で考えたものは例外をのぞいて、多くは市場で受け入れられないのではないかと考えています。
なぜなら、新しいものがスタンダートになっていく時には必ず、使い手と共に一つの文化の共創が行われるからです。今までにないような因子が社会に放り込まれた時に、多くのアイデアは理解されず、消滅していくことの方が圧倒的に多いはずです。では、今まで見たことのないようなアイデアが、市場で理解され共感され、育っていくにはどうすればよいのでしょうか。
見立て遊びに興じる
日本には、石を動物や自然の様に置き換えた石庭や、詫び茶の設えに、竹筒を花器として用いる「見立て」を楽しむ文化があります。「見立て」は子どもがごっこ遊びに興じるように、ある世界観の約束事を共有して、主客が同じテンションでその場をつくるために演じるという一種の「遊び」です。
先日、9月5日(土)(株)ウィルソンラーニング ワールドワイドの本社会議室をおかりして、un labo.が主催するun schoolの「見立て遊びのデザイン思考」のワークを行いました。主客が一つの約束事を介して一つの世界観を形成していく「見立て遊び」の手法を用いたアイデア発想を行いました。
ワークでは、一見、コースターとは何の関連性も持たないような雑多なものがテーブルに並べられました。紐やおもちゃ、うちわや辞書など。そこに置かれたモノの上に頭で思考するよりも先に手や身体を動かしはじめます。意図せず、そこに顕れる風景や現象に最大限に感覚を研ぎすませます。
何かに見立てるとは、何かに見えてくるということ。何かが、そこに見えてくるということ。
何かに「見立る」というのは、多くの思考の余地を残したプロトタイプをつくることと同じ。そこから、いろんな人たちの意見が飛び交い、一つの方向性が見えてくるのです。
見立て遊びのデザイン思考のワークでは、「思考する前にまず動く」「目の前の事象に感覚を研ぎすませる」「遊びの中から着想していく」ことを通して、何かを誰かと一緒に生み出していく、育てていく感覚をつかんでもらいました。
何のためのグループワーク?
グループワークやチームプロジェクトなど教育の世界でも会社の中でも、その重要性は随分前から言われています。しかし、本当の意味で一緒に思考していくすごさを腹落ちされていないように思うのです。
今回の東京でのワークでは、少し「グループワーク」って何?というようなことも意識しつつ。グループワークと一口に言っても、いろいろなパターンがあるよね、という話から、ワークの後には、参加者の方々の日頃の経験などを話してもらいました。
以下の図は、グループワークを1.0「指示型」、2.0「情報交換型」、3.0「共想共創型」の3つに分類したものです。
グループワーク1.0「指示型」は、グループといえども、その中のリーダー的存在の人がグループ内の人に指示を出してプロジェクトを進めるやり方です。この場合、完成のイメージは指示を出すリーダーの中にあり、そのプランに沿ってグループメンバーに仕事を発注するやり方です。
グループワーク2.0「情報交換型」は教育の現場でよくみられるグループワークです。お互いが知っている情報を教え合って、さらに理解を深めようというもの。グループワークを行う目的が、能動的になることで、既存の知識をより獲得しやすくするためとしています。
グループワーク3.0「共想共創型」は、お互いが考えや提案を投げかけ合い、一つの価値やルールや文化を一緒に創造していく場合におこなわれます。
リアルな場で顔をつきあわせて何かを一緒に行うことが、改めて希少となってきた現代において、グループワークの意味を再度考えてみるのも大切かもしれませんね。
以前、堺のun labo.で行った「共想」のデザイン ~見立ての遊び心がつなぐモノ~のレポートはこちらです。
http://capdesign.exblog.jp/22958080/